宮司地区について

1600年の歴史をもち、大注連縄(おおしめなわ)や光の道で知られている「宮地嶽神社」が鎮座する地域です。深い歴史に親しむ風土が息づき、宮司浜海岸や松林など豊かな自然にも恵まれています。最近は若い世代も増えており、地域のつながりが継承出来るよう幅広い世代が交流出来るイベントを行っています。

宮司地区構成自治会(拡大表示できます)
各自治会世帯数と人口(R3.9月現在)
自治会名 世帯数  人口(人)
宮司一区 196 469
宮司二区 967 2,249
宮司三区 665 1,478
宮司西区 392 864
善福区 173 432
的岡区 430 1,041
宮司ヶ丘区 346 761
星ヶ丘区 347 736
3,516 8,030

多くの人で賑わう みやじ夏まつり

 

自然・歴史と生きるまち、みやじ。
~人も自然もいきいきと!皆で育む、住みよい宮司!~

光の道

毎年多くの方が参拝に訪れる宮地嶽神社からのびる「光の道」はCMをきっかけに全国に知られるようになりました。夕陽の光が、神社の参道と海を一直線につなぐ様子は2月10月に見られる奇跡の絶景です。

夕陽風景時計と宮地浜

宮地嶽神社参道石段から1.4キロ先の宮司浜に設置されています。年間の夕陽が沈む時刻と方向がわかります。水平線に見える島影のパノラマ風景がきざまれています。

六百俵記念の碑

宮地嶽神社参道石段を32段あまり登ったところの右側に巨大な自然石の記念碑が立っています。堂々とした文字で「六百俵之碑」と彫ってあります。この碑の前で「六百俵の記念祭」が宮司郷づくり主催のもと行われています。宮司村のご先祖様の行いが他村の模範であるとして藩主から米六百俵を贈って表彰されたという内容が書いてあります。

蒙古戦没者の供養塔

宮地嶽の東麓を水源とする今川は手光区と宮司地区の農地を潤し、西流して玄界灘に入ります。福津市合併で建てられた「福津出会い橋」の上流約二百mの場所に今川橋があり、そのたもとに蒙古兵の供養碑だとされる「南無阿弥陀佛」と記された大きな石の碑が建っています。はたしてどんないわれのある碑なのかは、宮司郷づくりの文化事業の一環で出版した歴史探訪シリーズ「蒙古戦没者の供養塔」に記されています。

歴史探訪シリーズ

宮司郷づくりの文化事業では、宮司地区のいわれや歴史を後世に伝えたいとの思いから現在まで歴史探訪シリーズを5冊発行しています。執筆は宮司地区在住の長瀬福孝氏です。福津市の学校・図書館のほか県立図書館にも寄贈しております。
希望者には無料で差し上げています。(在庫かぎり)
第一号  今川橋 蒙古戦没者の供養塔
第二号  世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
第三号  伝えよう!宮司地区の文化遺産「六百俵の記念祭」
第四号  令和元年・万葉集散歩
第五号  「世界の記憶」朝鮮通信使 二百年の歴史

宮司浜の松原

白砂青松。白い砂と青々とした松林。日本のどこにでも見られた海岸の風景からこの美しい言葉が生まれました。
多くが江戸時代以降に植林されましたが、いつの時代にも松原は、吹き付ける風や砂から人々の生活を守ってきました。しかしながら、時代の進展とともに、燃料供給減としての松原は必要とされなくなり、又人為的な理由もあり白砂青松と呼ばれた松原は減少荒廃の途をたどりました。松原は今、手入れをしてくれる人の手を必要としているのです。宮司郷づくりでは松原再生に向けて整備活動に取り組んでいます。
白砂青松の宮司松原の再生に夢をかける人々の手によって、とても綺麗になりました。どうぞ足を運んで下さい。